◇少しでも理解者を増やしていきたい--平沢哲哉さん(42)
言語聴覚士とはどういう仕事ですか
◆脳血管障害や交通事故などによる頭部外傷のため、読み書きや人と話をすることが難しくなる後遺症が残る場合があります。このような言語・聴覚の障害を持つ人に、専門的な訓練や指導をして、機能回復や障害の軽減を図る専門職です。97年に国家資格となりましたが、言語聴覚士や失語症の実態は、まだ社会に正しく理解されていないのが現状です。私自身、失語症を経験し、同じような困難を感じている人たちの代弁をしたいと思い、昨年、本を出版しました。
なぜ言語聴覚士になろうと思ったのですか
◆大学生だった83年、車にはねられる事故に遭い言葉がうまくしゃべれず、相手の話も理解できない状態になりました。退院後も通院してリハビリ訓練を受け大学を卒業できるまで回復しました。担当の先生は患者のことを本当に考えてくれる先生で、言語聴覚士の仕事にあこがれるようになりましたが、自分は無理とあきらめていました。そんなころ、事務職での就職が内定していた病院で、たまたま保健師に「言語聴覚士になりたい」と話したところ、専門教育を受けていなくてもなれることが分かり、病院を回って見学したり仕事の研修を受けたりして、言語聴覚士として就職することができました。
2年前に病院を辞めて、在宅活動に踏み切ったのは
◆失語症のリハビリには長い期間が必要ですが、病院である程度訓練すれば退院することになる。リハビリを続ければ症状が改善するのに、通院が困難な人はそのまま閉じこもりがちになってしまいます。本人が自宅にいて日常生活を営む中で、病院ではできないような援助をしていくことが大事なのではないかと考え、地域で困っている失語症者やその家族のためになりたいと、在宅の言語聴覚士の道を選びました。
地域での受け皿作りを進める上での課題は
◆各市町村で少しでも理解者を増やしていきたい。同じような障害を持った人同士が外に出て、楽しく活動できる関係を作れたらと思います。以前、勤めていた山形県の病院は地域に根ざし、訪問活動が熱心だったのですが、私もここで大事にされ、自信を持つことができました。ちょっとできたことでも「よいしょ」して伸ばしていき、その人が生き生きと生活できるようにしたいです。【聞き手・新井敦】
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■人物略歴
◇ひらさわ・てつや
牧丘町生まれ。青山学院大在学中に交通事故の後遺症で失語症に。同大卒業後、県内や山形県の病院に勤務。99年、言語聴覚士免許を取得。02年に病院を退職し、在宅の言語聴覚士として失語症者の訪問ケアを続けている。昨年、自らの体験をつづった著書「失語症者、言語聴覚士になる」(雲母書房)を出版。塩山市在住。(毎日新聞)
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