日本で初めてフランス語を修め「仏学始祖」とたたえられる大田原市出身の仏語研究者村上英俊(1811~90年)の顕彰碑が、同市佐久山の生誕地近くに建立された。9日、英俊の子孫や駐日フランス大使館職員らも参加して除幕式が行われた。
顕彰碑は、今年の日仏交流150周年に合わせ、同市が建立。御影石製で高さ約2メートル20、幅約1メートル20。除幕式で、千保一夫市長は「英俊の旺盛な向学心や不屈の精神力が、青少年に夢と希望と勇気を与えると確信している」とあいさつ。参加した子孫の村上高透(たかゆき)さん(35)(さいたま市)は「先祖に英俊という人がいることは知っていたが、改めて功績の大きさを実感した」と感動した面持ちで話していた。
英俊は、佐久山宿の本陣佐野屋の生まれ。1824年に江戸に出て、医学や蘭学を学び、妹の嫁ぎ先の信州・松代藩に仕官。佐久間象山の勧めもあり独学でフランス語を学び、2年がかりで化学書を解読した。
再び江戸に出て、54年に日本初の英仏蘭対訳辞書「三語便覧」を刊行。その後も「仏英訓弁」「五方通語」などを編さんした。幕府に献上した「仏蘭西詞林(ふらんすしりん)」が認められ、幕府の研究機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」(東京大学の前身)の教授手伝いを拝命。教職の傍ら、64年に本格的仏和辞書「仏語明要」を刊行した。
(2008年10月10日 読売新聞)
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